熊本 西原村 揺ヶ池神社にて
この者の 影に隠れし 多くの御霊が
神の許しのもと 今 蘇らんとす
いかづち様の お呼びかけと
思兼様の 号令のもと
ともに 参らんとした者々にある
人の子として 生まれきたこの者は
まこと 神の世を 作りたきこと 欲すものたれば
この先に起こる 大峠を
また ともに 乗り越えようとする者たちを
ともに 導き足らんとす
これから 世に必要な神宝を
神の約束のもと 働きたる諸々に
今 また これを預けんとし
この 働き成したる者と
ともに 生かしたらん
神の預ける 諸々は
この者 持ちたる 水晶の中に 降ろしやる
今 必要とするモノあれば
これを使い この者呼びて これを成せ
小さく 持ち歩ける水晶に 預ける
まず 水で浄め 3度拝礼す
今 持ちたる 浄めの塩 もちいて
これを 浄めよ
また
この未来のために 使う諸々も
同じように 成せば 良い
今日は この1つで良かろう
【追記】
2025年2月16日、西原村へ向かう。初めて訪れた弁天様の祀られる揺ヶ池神社へ。
ここは、もともと霊水と言われる湧き水が湧いていた場所だが、あの熊本大震災でこの池が涸れてしまったらしい。小鳥のさえずりや木々の揺れる音が、比叡山の趣と似ていてこの空気感が大好き。
神社の社には、いくつもの神仏が一緒に祀られている。中央に置かれた『南無妙法蓮華経』と書かれた塔婆が、ここを守られている方の信仰の厚さを語ってるように感じた。
ここには、放飼いの人なつこい雄鶏が1羽いて、神社の周りや社の中を我が物顔で行き来してる姿は守護神か眷族のよう。あまり近づき過ぎると、縄張りに入ったと思うようで、雄鶏の立派な太ももキックを喰らってしまった。
結局、今回この古い御先祖様を辿る目的は、長い年月御先祖様が大切に預かってきたある物の御霊を、私がお預かりしに行くことでした。
道すがらの車中で語り掛けられたことは
『己れの私利私欲のために、これを求むる者の目に留めさせんがため、この光が漏れ出ぬよう、汚し穢し隠してきた』でした。
御先祖様が、名字を変え、身を潜め、この血を繋いできたことに、とても大きな意味があり、ようやく私にバトンタッチをしたということでしょうか?


とはいえ、私が何かをする者ではなく、私の後ろにおられるであろう神々がやっておられるであろうことを、ただ書き留めているだけで、あとで振り返って読んでみると、それが現実の何かと繋がって驚くばかりです。
今日、偶然見つけたYoutubeの動画を見ていると、今回の熊本行きは、確かにこの時代に動き始めようとなさっておられる神々と関わりがあるようで、妄想は徐々に確信に変わっています。
量子物理学で言われるに、見ず知らずのどこかの誰かが、同じ周波数で共鳴し、広がり始めているように、私もその歯車のひとつとして動いています。
これまで受け取ってきたメッセージの本当の目的が、今少しずつわかりつつあり、今回、古い御先祖様から引継ぐものを預り、この大きな変革の時代を生きているということの次元や時間を超越したスケール感は、本当になんと表現していいかわからないほどのワクワクでもあります。
さあ、宿題のつづきが、数珠つなぎのように現れてきます。そして、着々と準備が進んでいることを実感しています。
将来の世界を築く日本人の目覚めが、さらに加速していきますように。
地球の天命が全うされますように。
日本の天命が全うされますように。
神々の天命が全うされますように。
皆さまの天命が全うされますように。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。