そこに生きていて下さることに感謝

本当に出来の悪い私は、多くの諸先生方にお叱りや教えをいただきました。
いつも、周囲に起こる様々な出来事に悩み、どのように理解していけばよいか、たくさんのアドバイスをいただきました。

その中で、数年前に古神道の神祭をなさっておられる先生に、教えていただいたことをご紹介いたします。

この方は、ある神様のつながりで、ある密教のお寺の高僧と深い御縁が繋がられたそうで、1年に1度の大法要にお出かけになるそうです。
その法要にお持ちする御布施は、日本でも有数の大きな密教寺院なので、一口○万円となるそうですが、これとは別にお花代(御礼)を同額お包みするのだと仰いました。

お布施は、その法要に対する直接の費用として、お花代は法要を営む導師が、その日まで日々修行を重ね、霊力を高め、生き続けて下さったことに対する御礼として、お包みするのだと聞きました。実はこれ、最近の日本人が忘れている習わしなのだとその高僧に教えられたそうなのです。

数年前、私はあるお寺の僧侶が、現金収入が足らないので、夜に清掃のアルバイトしてるとお話をされていたのを聞いたことがありました。本山での修行を終え、自寺をどのように経営されるかは、それぞれのご判断なのだと思うのですが、少なくとも御先祖様がお世話になる菩提寺の僧侶が、お寺で読経もせずに、外でアルバイトをしてるなんて聞いたらと少しがっかりしてしまうのではないでしょうか。

確かに、高級車を乗り回したり、夜の繁華街で遊びまわる一部の僧職の噂も聞きますので一概には言えませんが、今後お寺の存続が厳しいと言われる時代、目に見えないこと世界のことに無関心な現代人が、形式だけのお寺ごとをするようになれば、なおさら僧侶という職業や寺院はなくなってしまうかもしれません。目に見えない世界は、ムダなのでしょうか?

これは、AIに取って代わられる私たちの職業と同じではないでしょうか?

ご神仏にそのお力を添えて頂くにあたり、私もわずかばかりのお賽銭で、図々しいお願いごとをしていたなとか、また、自分では解決できないことを、○○先生に相談したら1回○○○○円で、△△先生は△△円だから、何回でも行けるかな・・・とか、安易に考え、緊張感もなく、頂いた教えを忘れてただ依存していることに気付きました。最初で最後の御縁でしたが、とても大切なことを教えて頂いた先生でした。

私たちが何かを得ようとするとき、必ず誰かが動き、時間を費やし、その能力を使って、私たちが求めるものを提供してくださいます。
これは御神仏も人も同じであり、そのことに対する感謝の心とこれを表現することはとても大切なことですね。
私たちが逆の立場に立てば、その努力が相手に伝わらないと、どこかで不満がたまってしまいます。よくわかることですね。
ご神仏も、そういった私たちの心の中を、じっと見ておられると思うのです。
調和のエネルギーを生み出せる人と、他者のエネルギーを浪費して全体のエネルギーを落とす人。神様はどちらがお好みでしょうか?
運気の上がる人と上がらない人の違い・・・さぁ、どう思いますか?

まもなく、元旦がやってきます。初詣に出かける方も多いのではないでしょうか?
このお参りできる神社仏閣が、今日まで守られて存続していること、そこに尽力されてこられた方々がいること、参拝ができるよう場所を整えて下さる方々、多くの方々のお力があってこそ、参拝できることを感謝しながら、参拝されてはと思います。

地球の天命が全うされますように。
日本の天命が全うされますように。
皆さまの天命が全うされますように。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。合掌