最高の運勢と平凡な運勢
数年前にお世話になったとある老紳士。
その書棚には、数冊の占いの書籍。
その方の生年月日からその書籍を辿っていくと、大きな財産を得られ、権力や地位も得られる最高の運勢で、しっかりとそれを確かめたかのような痕跡がありました。
確かにその半生を伺うと、大学を首席で卒業、公務員となり、定年退職後は、親族から受け継がれた多くの資産で賃貸経営を行い、老後も順風満帆のようにお見受けしました。ところが、ご夫婦は子宝に恵まれず、将来残されるであろう財産目当てか、お金のにおいに吸い寄せられるクセのある人々が言い寄ってくることはあっても、心から信頼できる人間関係には恵まれず、何故かお金の心配も加わって、つねに心情はイライラ・カリカリしておられました。いつも居場所のないそのお心は、ご自身が気付いておられるかどうかわかりませんが、さみしそうなものでした。
ご高齢になって、そういった姿を見ると心が痛みます。
この占いの書籍と老紳士の姿をみて、『最高の運勢』の裏には、順風満帆であるからこそ、自信と慢心におぼれ、人のねたみを買うこともある危険性を示唆していたことをつくづく感じたのです。周囲に対する心遣い、気遣いが普通以上に必要だったと思いますが、すでに時遅しでした。表に見える顔と裏に隠された現実の姿で、この運勢の言葉の怖さに気付かせて頂いた方でした。
確かにお金は無いよりもあった方がいいと思います。けれど、何か新しい物を得たからといって得られる幸福感の持続時間は、お金で買うことのできないものから得られた幸福感に比べて、あまり長くないことが多いように思います。
平凡で、山あり谷ありの運勢の私にとっては、『一日一生』で衣食住足りて平穏無事に今日も生き抜けたことの感謝を忘れずに生きていけたらと思います。