最後のピース
神仏から御言葉を頂くとき  
 「○○においで」「□□に来なさい」
 「お目覚めを迎えに行きなさい」と
 言われることが よくあります。
大きな力を持ち 時には自然の力をもって
 その大きさを現されることもある神様が、
 なぜ そんなことできないの・・・?
 なぜ こんなことを人間に頼むの・・・?
 と言うようなことを言われることがあります。
こちらから行かなくたって、瞬間移動できるでしょうに・・・
でも私は、大きな大きなパズルの最後の1ピースをはめる役割を 
 人間に残して下さっている・・・と、そう思うのです。
恐らく、小さな私たちの手を借りなくても、
 ほとんどの事は、すべて神様で成すことはできると思うのです。
 でも、最後の1かけらのピースを、人間に託すことにより、
 私たちは、行動を起こすことで、神へ向ける誠意を表し、
 共同作業を行ったことにして下さる。
私たちは、日々の暮らしが神仏の働きで守られていることを
 とても実感しにくく、ともすれば感謝を忘れてしまいます。
全てのことを、神様がオートメーションでやって下さるとしたら、
 それが当たり前と思って、感謝を忘れてしまいます。
 「ありがとう」の言葉がなければ、私たちもやりがいを感じないことがあります。
神様が、私たちのことを思い、一生懸命に働いて下さっている
 そんなことに気付かず 不平不満ばかり言っては、
 神様だって、やりがいを感じない。
だから、本当にこの国の民の為を思って下さる神様には、
 例え騙されていたとしても、私が誰かに迷惑をかけるのでなければ、
 可能な限り、誠意をもって応えたいと思うのです。
