2016/9/30 夜 仏前
起こりのことは いかようであっても
起こりしことが みな (原)因のありたるものなれば
これはみな 避けて通るはできぬこと。
されど これで何を学び どこへ至るか
これが そなたら 今世を生きゆく者の意味であろう。
初めから 避けて通れば 何も起こらねば
そなたらは 神も仏も
あるいは 先祖の存在をも 知らぬであろう。
だからこそ そなたらに 伝えておるのだ。
神や仏は、誰のために存在し
そなたら 生きる者に 何をさせようとしているのか。
学べ、学べ。苦しんで、苦しみ抜いて
ようやく気付く時こそ 真(まこと)の心で
手を合わせるのであろう。
心を込めて、我が大切な人を想うように、
神仏に 想いを向けてみよ。
どれほどの 大きな愛をもって
この世を生きる者達を 見つめておるのか。
愚かしい 小我の欲に 身を焦がして
我が生きる道の 学びを忘れたるは
なんと 悲しきことよのう。
少しずつで良いから、
この御仏の言葉を 世の民に伝えてやるが良かろう。
真(まこと)に 憐れこの上ない。