2017/11/20 夜 仏前
【御言葉】
神や仏の御心は 皆に等しく
喜びと学びを 与えんとする由なれば
いくら修行に 身をおいても
これに 苦しみ悲しみ生じて 追い詰めゆきたることに
真(まこと)に 人の心救ひたる
己れの心 作れたるかと思うところある。
今こうして 己れの身 案じ
心を安んずること 学びきたれば
これが 真(まこと)
人の心 救ひたるところにありて
大きな技や 法力使ひたること なかろう。
己れの心に宿りたる 導きに素直に行きて
我れ 感ずる所の道 行きたればこそ
己れの道に 過つることなし。
その上で、
己れの身と心を いかに守り 案じたるか
一番大切なことたれば 良き導きの実践をもって
辛き心 癒したる技 すべて伝え救いやれ。
【妙心のひとこと】———————————————————
職業としての仕事を、神仏のおられる自宅でしています。いわゆるテレワークですが、自分の好きなBGMを聞きながら仕事をすることができるのは、とても恵まれていることだと思います。
BGMとして、私が最近はまっているのが、Youtubeに流れる「大愚元勝の一問一答」です。
大愚元勝さんは、曹洞宗のお坊さんですが、様々な悩みに対して仏教の教えをもとに、「処方箋」として問題の捉え方や考え方などをアドバイスしておられるのです。
その中で、「精進」という言葉について、お話しをしておられました。「精進」とは、私が頂く御言葉にもよく出てきます。イメージとしては、修行は苦しいものであっても、これを乗り越えてゆかなくてはならないような感じがするのですが、そうではないと、大愚和尚が言われました。
「精進とは、楽しんでするものだ」
苦しいけど、辛いけど○○しよう。。。というものではないということを語られました。
そうなんだ・・・やっぱり、そうなんだ。そこに本当の心はないから、ただの動作に過ぎなくなってしまう。
苦しいと思うときに、その苦しみの中から光(喜び)を見つけるという形の修行の仕方もあるのでしょうが、「○○せねばならない」という観念ばかりが強くなっては、喜びを見つけるどころか苦しみが生じて、本末転倒となってしまう。
「人々に光を与えよ」と言われているのに、私自身が自ら光を発するどころか、自らの心身を追い詰めて誰かから光をもらうことを求めている。このところ続いている体調不良は、それを伝えるメッセージなのだと気付きました。
自分自身の身体の声に耳を傾ける。
朝、どうしても気分がわるく起きれず、思い切って1時間寝坊してみたら、嘘のように本当にすがすがしい気持ちで、笑顔の一日をスタートできました。