2017/11/2 朝 仏前

行き道は 人それぞれあろうとも
根本の生き道は みな 神と成り、仏と成りて
この世の全てのものを 育み慈しむ魂に 
なることが目的である。

神に添うて生きる者は、
神を知り 仏を知り
この 迷い多き世の中で 
何に気付き行くかを この世の者の心に語り、
智慧を授けやる 助けをしながら
己れ自身もまた この生き道の中で、
己れの神に 近づくものである。

神が 見放すと 思うなかれ。
仏が 見守らんと 思うことなかれ。

みな 己自身の育ちに合わせて
気付き成さんと するものであれば、
暗き闇 作りて 明るき光に 気付かせ給ふ 
こともあれば また 己の心 
戒めんとする為の計りとて いくらでもある。

時には、人に化身し また 邪のモノにも化身する。

何故 そこまで成し給ふか、
これ真(まこと) 全て 愛するが故である。
絶対なる深き愛に 抱かれざる者は
ひとりとして おらず。

その愛に気付けず 苦しみたる者達に
そなたが心で この愛を伝えやれ。
これが 供養の源ぞ。