2017/11/18 朝 仏前

【御言葉】

我が心に浮かびしことが
全て 真(まこと)であるか、
当たる当たらぬというより
また 案じおる野狐(やこ)による
いかさまの惑わしかと思うより、
我が心に感じ入ることの意を
いかに捉えゆくかが大切であろう。

何をもって 問い、
何をもって その言葉賜るか。

我が(自分が)伝える言の葉を知らねば
これをどう解し、どう伝えやるかも 伝わり難きことたれば
己れの言葉の語彙も もっと学ぶことが必要であろう。
広く世を学ぶことも 必要であろう。

悲しい心 辛き想ひ
これをいかに導かんとする 神や仏の想ひ
すべてが 想ひのことたれば
己れの感ずる力と 表す言葉 よく学びたれ。
己れの知識増すことに 迷うことなし。

これに惑ひの言霊あらず
されば より この意がわかるであろう。

【妙心のひとこと】———————————————————

頂く御言葉に、自分自身の妄想が混ざらないようにすること同様に低級霊に憑依され、騙されることもある。これに注意しなくてはなりません。
お釈迦様やイエスキリストが、その修行の際、魔物の邪魔を受ける話は有名ですし、ヨガの修行の過程にも、魔境に至ることの注意があるそうです。
霊能力や超能力的な力を求める人間に、憑依しやすいと言われます。自分自身の無意識に、自己の利益を目的としてこの力を欲すれば、簡単に憑依され逆に利用されてしまいます。それに、いつも注力していました。
しかしながら、頂く御言葉が、低級霊のものであるかどうかの見極めも必要なのですが、この時に頂いた御言葉には、それ以上のことが含まれていました。
たとえ低級霊のものであったとしても、その言葉に含まれている想いをいかに感じ取り、それにどう応えるかの方が重要であるということと、その感情をどのように表現するか、その言葉を増やすことを、もっと学べと言われたのです。
そういった学びをするために、もっといろいろな人と会ったり、いろいろな学びの場に足を運ぶことに迷いは要らないと言われています。
そして、今頂いたこの言葉そのものが、迷わせるような内容でないことがわかるだろう。と、そう言われたのです。