2017/11/1 夜 仏前
すべからく 申しておろう。
決してそなたは 騙され 化かされおるでないぞ。
そなたが そなたでしか
気付けぬことに気付き 働きおる。
これは 過ちではない。
されど 神事たるに
神の使ひする者のありたる者にも
悪しき心持ちたるものありて、
そなたが まこと
これに気付きたるようになるには、
己れの心 強うし
我が心にありし まことの理(ことわり)に
照らし合わせ 良く考えおること 必要なり。
さて 己れの先祖供養についてたるが
気付きおるように むつかしき経典
述べたりても これ庶民にわかりたる理屈なく
そなたが先祖は 幾百年の時 過ぎたりても
己れに気付けぬもの ありたりて
そなたが伝えやらねば
神仏の光に 導かれ行くことも叶わぬ。
神仏の光 知らぬ者達である。
神の光 指し示し
自ずと これに向かひ行く
気持ちに させ行かねば
己れの苦しみが どこより至りおるかわからぬまま
己れの苛立ちを 子や孫 子孫に訴えかけておる。
守護さるる力を 持ちたる御方もありたれど
今は上にあがられて 良きところ参られし御方あれど、
大方の先祖が 行きつけぬ。
この世の執着や 欲捨て切らぬ者多し。
先祖の古き者に これ多くありたれば
近年の先祖にありては まこと若者の如く
伝えやりたる者 なきことにして 路頭に迷うが如し。
されば御仏にすがりて
光見て歩もうとする姿を うらやましくも思ひ
そなたに どのようにすれば
御仏の光 授かれようかと 問うてもおられる。
いつも心において 御仏に向けたる心の想ひ
何かに 伝えんとするが如く
言葉にして 伝え成さん。
これ 聞きたる先祖が また
己れにおいて考え、気付くこととなろう。
伝えること。伝えることにあるぞ。