2016/9/29 夜 仏前

【御言葉】

おごりの心捨て 心の中を無にすることで
己の苦しみが 消え去ることを
己が身をもって 知るであろう。

己が生み出す 苦しみは、何故消えぬのか。

己が心にある 執着が招くもの。
大我なき 小我の執着と欲が
我が心の苦しみを 生むものたれば
いかようになせば 心の苦しみが消えるか
わかるであろう。

全てを 御仏に委ねゆくことで
己が心に 御仏の社(やしろ)ができたれば
心安らかに 平らけく
嬉しき思ひに 満つるばかりなり。

何故に 心に苦しみを 産まねばならぬのか。

これが 人の業たれば 己が業を捨て
御仏の御心に沿うて生きるとのみ思えば
身に余る業の ありとあらゆるものが
見えるであろう。

我が生命(いのち) 我がものに非ず。

また、御仏によりて 操られるでもなし。
ただ、母の如く 子を想い 子を助け
子を育てる慈悲の心以外のものはない。

御仏信じ 委ねきれば良い。

【妙心のひとこと】
仏教の教えの中では、苦しみの根源はすべて自分自身にあると言われます。いやいや、今の苦しみは○○の原因で。。。と思うことがあるかもしれませんが、起こった事柄を自分の中でどう受け止めるか、どのように考えるかで、苦しみの形は変わっていく。苦しみは自分自身の思い方で、消すことができると言います。
○○のせいで、××をこんなに損した。不利益が発生した。それを、損害賠償してくれ。よくあることです。
けれども、金銭で解決できない問題は、世の中にたくさんあります。

大我と小我。聞いたことがありますよね。
小我とは、自分自身の満足のための目標であったり、努力であったり、個人的な狭い範囲に閉じこもったことを表します。反対に、大我とは、狭い見解や執着から離れた自由自在の悟りの境地。私たちは、小我であるがゆえに、自ら自分を苦しめているんだよと、仰いました。

私たちは、一生の内に与えられる食糧は、生まれたときにすでに決まっているそうです。私たちは、自分の力で生きていると思い込んでいるけれども、実際は生かされています。それも、私たちは支配されているのではなく、ひとつの魂として完成に近づける学びをたくさんして欲しいという、神仏の親心のような温もりに助けられながら生きているのです。
そのことを信じて、いつまでも、悔しい、辛い思いで自分の心を縛るのではなく、きっと素晴らしい人生を歩ませてもらっていると生きていくことが、本当の苦しみから解放されることだと、仰いました。

本当に、素敵な御言葉であると、何度も振り返ります。