2016/6/6 朝 仏前

お心の思うこと 進まれゆくことの由にして

お言葉を賜ることの なさるゆえに

これの意味を 深読み解くことが 肝要にして

我が心に受けとめし お言葉をいかに解釈するかは

己が 心の深さ(広さ)が 要るであろう。

 

言葉の裏にあるもの、その想いの有り様を

いかに知るかが 己が学ぶことではなかろうや。

心に感ずる想いは すべて心の目で見ることなれば

それを眼で見ゆることは 迷いの元となる。

心に感じ、心で見るが 肝要なり。

 

心に感ずることは ともすれば

我が事のように 思うであろう。

これは 抜けることも必要なれど

これは 浄化するしかない。

 

常に 心の浄化ができるようになる

「般若心経」の「無」を念ずること。

うかつなことを するよりも

ここに 立ち返るが良かろう。

 

※過去世のひとり、600年くらい前

陰陽道、深江にまつわる、僧ではない。