誕生日は 先祖供養

早いもので、また今年の誕生日を迎えます。
私の誕生日の前日は、母方の既に他界していた祖父の命日であり、子どもの頃は、嬉しい反面、なんか暗いイメージもありました。

それでも、家族や友人に祝ってもらうことが当たり前で、満足に祝ってもらえないと「せっかくの誕生日なのに・・」に不満に思っていました。

歳を重ねていけば、誕生日も喜んでいいのやらと複雑になりますが、シニアの先輩方も、やはり自分の誕生日を誰かに祝ってもらうことがうれしいのは、ごく当たり前のことのようです。

けれどもここ数年、私は今自分がこうして生かさせて頂いていることへの
先祖への感謝を伝えたい日と思うようになりました。

「先祖供養」という言葉を耳にしたりすると、
先祖が苦しんでいるとか、あまり良いイメージがないこともあります。
そもそも、先祖供養って何のためにするんだろう。。。
(先祖供養の話は、また今度)

私たちの家族や親戚にも、気の合う人、中の悪い人
ちょっと癖のある人や中には許せない想いを感じた相手もいるでしょう。
とてもいい性格で、誰からも愛された人もいれば、憎まれ損だった人もいる。
大きな病気を患った人、容姿に恵まれた人、恵まれなかった人

今生きている私の先祖には、それはもう大勢の人たちがいて、
それぞれの個性もあれば幸不幸もあり、多くの喜怒哀楽を経験して来られた結果として、
今の私がいるのです。

もし、罪を犯した人があったとしても、その罪を犯さなければ、
今、私はここに存在していなかったかもしれない・・・

そんな罪の重荷を背負った先祖の贖罪もあってこそ、
私は今ここで生かせてもらっているかもしれない・・・

そんな風に思ったとき、どんな先祖であっても、
私は、すべての先祖に深い深い感謝の言葉しか思いつきません。

「ご先祖様のお蔭さまで、今こうして生かさせて頂いております。」
一年に一度の誕生日は、そんな気持ちで先祖と向き合う日にしてみませんか?