寂聴さまのご冥福をお祈りいたします

2021年11月11日、突然の号外メールで、瀬戸内寂聴さまの訃報を知りました。

直接お会いできるご縁はございませんでしたが、ご高齢にもかかわらず、Youtubeなどの様々な動画の中より、いつもにこやかでお元気なお姿で、元気を頂ける寂聴さまが大好きでした。

いつか寂庵をお尋ねしてみたい・・・そう思っておりました

今年に入って入院しておられることをネットニュースで拝見したため、一日も早くご快復なさって、寂庵にお戻りになられることを心待ちにしておりましたが、残念ながら私の願いは叶いませんでした。

秘書でエッセイストの『瀬尾まなほ』さまとの、心温まる掛け合いトークをとても楽しく拝見しておりましたので、『まなほ』さま、ご家族さま、寂庵のスタッフの皆さま、ご協力者の皆さま、足を運んでおられた信者さま、寂しさもひとしおかと思います。心よりお悔やみ申し上げます。

けれども、僧侶として歩んでこられた寂聴さまだからこそ、生老病死という人生に切ってはきれないものに、正面から向かい合ってこられてきたことでしょうし、その周りにおられた方々も、必ず訪れるその時に向かって、心の準備をしてこられたことだと思います。

そのお心は、その文字通り「安らか」でおられるのではないかと思います。

世の中に、歴史的にもたくさんおられる仏教僧の中で、私が特に、寂聴さまを陰ながら慕っていたのは、『女性らしさ』といいますか『人間くささ』といいますか、伝え聞く生き様と、映像に映るその笑顔から、仏道を歩まれる先輩のお姿として、いつからでも、どこからでも、どんな状況からでも、人は仏の子としてやり直せるという勇気をもらえるからだと思うのです。

人間生きていれば、良い時もあれば悪い時もある。生きてるからこそ、状況が常に変化する。家族といえど、生まれてから死ぬまで生きて、また、さらにあの世に行っても、『魂』じたいは六道輪廻のひとり旅。心が強く持てるときもあれば、自分の弱さに泣き疲れ、くじけそうな時もある。

仏教の経典や教えは、本当に素晴らしいけれども、その言葉を説法のように直接伝えられるのではなく、寂聴さまの作品や言動の中に、人間の感情や生き方を私たちの身近なものと同様に表現され、思わず笑ってしまう瞬間に、実は仏様の教えが巧みに織り込まれていることを、気付かされているからかもしれません。

先日、とある方から『妙香さんの趣味ってなんですか?』と尋ねられました。気付くと、何も答えられない自分に気付きました。いろいろな事柄に縛られて(自ら縛って?)、『楽しい』と思っていたことが『楽しい』を思えなくなっている自分に気付かされた瞬間でした。

お逢いしたかった寂聴さま。旅立たれたことは、私にとって、とても残念なことですが、かつてお元気に活動なさっておられたお姿を偲び、寂庵をお尋ねし、お参りさせて頂ける日が来ることを目標に、日々の暮らしを励みながら、積み上げていきたいと思います。

最後に、寂聴さまのご冥福をお祈り申し上げるとともに、感謝の意を表します。ありがとうございました。合掌