人を愛するということ
【言霊の手紙】
人を愛することは
相手の成長と
心を安んじ 喜びを与えようとすること
己れが 評価されることよりも
相手の学びによりて
与えるべきものを与え
与えてはならぬものを
さとし 見守る
(他)人の見る目ありて これを比ぶるより
ひとりひとりの心にあわせ
神の成したる育て方
これに 学びたるが よかろう
己れが 学びきたことを
ひとつひとつ 思い出すがよい
令和7年1月7日に頂いた言葉
【追記】
私は、子どもの頃から『愛する』という言葉を口に出すことに、とても抵抗感がありました。
具体的に、どのような行動や言動を指すのか。無償の愛とは・・・?
自分なりの解釈ですが、
何らかの利益や損得を目的とした行動や、自分の評価など意識があって、行動するということではなく、誰かのために何かをしたいと感じたとき、その原点にあるものが、すなはち『愛する』ということではないかと思います。
時に、相手を思えばこそ、与えすぎてしまったり、あるいは、自分が描く理想の世界の住人にしようと、その愛がゆえに、相手の成長をとめてしまったり、あるいは、相手の自由を奪い、がんじがらめにしてしまうことで、相手を傷つけてしまうことがあります。
神仏より頂く愛情は、例えるなら、解けなかった難しい問題の答えを教えるのではなく、その解き方を理解するため、分かりやすい解説書を見つけ出すために必要な出会いやきっかけを与えたり、「解けない」という挫折を感じさせたりといったストーリーの中で、自分で見つけ出したという達成感を持って、その答えの解き方を経験値として定着させるような導きかたをして下さいます。これは生きる力となります。これが愛することではないでしょうか?
私たちは、たとえ夫婦親子という深い御縁が繋がっている関係であっても、各々は別の魂であり、それぞれ独立した学びのテーマを持って人生を生きています。無意識のうち、自分の理想世界の住人にしようとすることを愛情と勘違いして、相手の学びのテーマの実践をとめてしまうことは、支配となり、さらなる問題を生み出します。無償の愛を源とする相手の天命を全うすること願う祈りには、神仏の応援エネルギーも加わり、良い循環を生み出します。
愛するということ、もう一度見つめなおしてみませんか?
地球の天命が全うされますように。
日本の天命が全うされますように。
皆さまの天命が全うされますように。
今日も、お読みいただきありがとうございました。