再掲)久留米の旅を終えて -2019/2/18-
1月にS寺の坊守様にお誘い頂いた久留米の参拝の旅。
今回は、都合で主人が行けなくなり、坊守様とT様の3人での旅になりました。
【行程】
物部神社(佐賀県三養基郡みやき町)
ご祭神:経津主神(ふつぬしのかみ)
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伊勢天照御親神社(久留米市)
ご祭神:天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命
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高樹神社(久留米市)
ご祭神:高皇産霊神
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高良大社(久留米市)
ご祭神:高良玉垂命
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高良大社 奥の院(久留米市)
ご祭神:毘沙門天
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月讀神社(田主丸町)
ご祭神:月讀命
馬場瀬神社(田主丸)
ご祭神:応仁天皇・罔象女神(みつはのめのかみ)
坊守様が、物部一族に興味をお持ちであったのは、一昨年、奈良の石上神宮と摂社の高木社を参拝されたときのことがとても印象に残っておられたことがきっかけとのことで、関連する神社を数社参拝させて頂きました。
物部氏とは、古代の豪族のひとつで、あの聖徳太子の一族である蘇我氏との争いの中で、表舞台から去っていかれた一族と言われますが、『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』の中で、神武天皇よりもさらに前に、天孫として天下りをされた『天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命(通称:ニギハヤヒ様)』のお供の二十五部衆のひとつとされています。また、ニギハヤヒ様を先祖とし、ニギハヤヒ様の天下りの際に、天照大神様より授けられた『十種の神宝』を奈良県の石上神宮にお祀りしてきた一族でもあります。
この石上神宮の御神宝は、何故か私もご縁がありまして、その御霊が、本来あるべきはずではない場所にあり、それをお預かりして、石上神宮にお戻しするための参拝をしたことがありました。
そのご縁から、ウチの神棚には、『十種の神宝』をお祀りし、その祝詞を毎日上げさせて頂いています。
伊勢天照御親神社は、私は2回目の参拝でしたが、前回と同様に、大きな丸い球のようなエネルギーを頂きました。
神社の名前からは、伊勢神宮の天照大神様を想像しますが、こちらの神様はイケメンの男の神様を感じます。
以前の参拝の際には、『祓戸大神は どこにおわすか?』
とお尋ねになられ、その足で八女にある釜屋神社を訪ねたことがあります。祝詞で奏上される『祓戸大神』=『瀬織津姫』=『罔象女神』として、清らかな水で禊をして下さる神様です。このたびも、後で振り返ってみると、馬場瀬神社に『罔象女神』様がご祭神として祀られておられました。不思議な偶然です。
高良大社では、昔は神仏合習でお祀りされていた時代があると伺いました。その仏様は、またまたウチで祀っている仏様とご縁がありビックリ。
高良大社は、神社考古学の研究をされている方々が、とても重要な神社と仰っていましたが、奥の院を初めて参拝させて頂いて、まだまだ今の私が伺い知ることのできないたくさんのことがあるのだなぁと感じました。
その神仏合習のお話しを伺ったからか、月讀神社を参拝させて頂いた際には、月光菩薩様のような光を感じさせて頂きました。
今回の旅、たくさんの御言葉を頂くことはありませんでしたが、Tさんに色々な教えを頂くことができました。
特に、お大師様の教えでは、神社の神様は、菩薩様が菩薩行をしておられるように、神様としての御働きを通じて修行をしておられるとお聞きしました。
そのお話しを伺いながら、自分の中で過去におこったことに納得がいきました。かつてすでにお役目を終わられた神様を、無意識に起こそうとしていたようで非常に怒られたことがあったのです。
神様も、人としてこの世を生きた時代があり、それぞれの性格や個性もあり、私たちと何ら変わらない感情もお持ちです。かつての嫌な思い出がおありだったとしても、過去の歴史を変えることはできません。これまで、神々様から頂くお言葉を振り返りながら、私は何ができるだろうかと思うことが多々ありましたが、生きている私たちと同じ様にその気持ちをプラスに代えて頂くしかありません。『そういった神様方にも、宇宙である大日如来様の息吹が宿っている。その後ろにおられる大日様を拝むんですよ。』とのTさんからのお言葉がスーッと落ちました。神様に向ける心は、感謝と日本の古いご先祖様に向けるご供養の祈りが一番ではないかと感じました。
車での移動で、坊守様とも、いろいろなお話をさせて頂きながら、愉しく過ごさせて頂き、あっという間の1日でした。運転をして下さった、Tさんとお声かけを下さった坊守様とこの1日を下さったご住職様に感謝です。