魂の記憶

自分の前世は、何をしていたんだろう。

過去世の自分は、どんな人間だったんだろう。

一度は気になったことはないでしょうか?

 

私も過去世のことに気付く前までは、漠然とそんな風に思っていたことがあります。

 

科学的には根拠はないかもしれませんが、

私の中で、これは魂の記憶だと思うことがいくつかあります。

 

・初めて訪れた場所なのに、『ただいま』と言葉が出てくる

・どこで見たか記憶がないのに、この仏様を知っている

・ふと目にした仏教用語や解釈が自分の価値観と同じであった

・仏教戒律に合わない生活習慣への罪悪感

 

私は、どこの宗派にも属していませんし、お寺関係者の身内もいません。

そのような学習をしたこともありません。どう考えても脳に残る経験値のない記憶があるのです。

なぜ自分の中にこのような記憶があるのか不思議に思っていましたが、

とある古いお寺を訪れた時、そこに祀られえていた神変大菩薩(役行者)様から

『そなたのことは昔から、ずっと知っておるぞ』と声をかけられ、

過去世の受戒(お坊さんになる儀式)を受けた師僧や、

かつての法名などが紐解かれました。

 

今思えば、前世の自分の名前が何なのか、どうでもよい事です。

大切なのは、私自身の魂に刻まれてきた記憶が、

自分自身のアイデンティティの土台となっていることと、

この記憶の延長上に、今の人生の目的があるということです。

 

目の前の様々な出来事に一喜一憂する私たちですが、

実は、もっと大きな流れの中で、いまを生きている自分を感じると、

今起こっている事も、自分の感じ方次第で小さな出来事に変わるかもしれません。

私たちが今経験していることの記憶は、来世生まれ変わったときにも、

きちんと継承され続けているということ。だから、無駄なことは何一つないのです。

 

自分の中にあるアイデンティティの土台に焦点を当ててみて下さい。

そこに、あなたの前世が隠れていますよ。