護摩祈祷について
【御言葉】
すべてが、仏の導きとなるわけではない。
ここに「願う」想いの根本・原因はどこにある。
そこには、因縁(原因)がある。
それは、己れの欲や己れの過ちが生み出したものもある。
己れだけの欲を満たすことで、誰かが不幸になることもある。
その「願い」の元となった原因を 自ら気付き
過ちを正す努力をしているか
2021/4/25 不動明王様
(妙香のひとこと)
月に1度、お寺では護摩祈祷が行われています。護摩祈祷は、四度加行(しどけぎょう)と呼ばれる本山での修行を収められた阿闍梨様が修法されますので、私などは護摩壇の横にて、読経をさせて頂くだけなのですが、その回ごとに、学ばせて頂くことが多くあります。
護摩祈祷の日。在家僧侶の私たちは、お寺に到着すると、まず、本堂にてご挨拶をさせていただきます。
『今日の護摩祈祷で、参拝者の皆さまの御祈願が届けられ、御仏の導きがありますように。』
今日のこの御言葉は、このご挨拶をした時、お不動様より頂いたお言葉です。
仏様の導きは、とてもシステマチックです。
眼の前に起こっている問題や課題は、偶然ではなく、過去世、先祖まで含めた、家同士・人間同士の因縁(カルマの法則)が、複雑に絡み合って、必然として様々な出来事が生じています。
Aさんのこの願いが生じる根本の原因は、どこにあるのか。
Aさんのこの望みをストレートに叶えることで、Bさんには新たな問題が生じないか。
ありとあらゆる因縁の絡み合いと、その先にある未来の繫がりをシステマチックに、事前に「根回し」のような準備をして下さったりしながら、更なる学びが必要な人には更なる学びを、苦難から救い上げようとする人には、その先につながる新たな良縁まですべて用意して、少しずつ少しずつ、その方とその周りに関わる方すべてにとって、ベストな環境を整えて下さいます。
Aさんが望んだ結果とは、少し違うかもしれないけれど、時間が経って気付いてみると、新たな因縁を生み出すことがない、もっとも最適な答えが与えられているのです。
私たちの『願い』の源は、何でしょうか?
「病気平癒」を願うならば、生活習慣を見直したでしょうか
「試験合格」を願うならば、しっかり勉強してるでしょうか
「良縁」を望むならば、他者から好かれる人となる努力をしてるでしょうか
私たちが日々過ごす生活の中で、習慣化されてしまった思い込みや価値観が、誰かを傷つけ、悪い因縁を積み上げた結果として、多くの災いを招いていることも忘れてはいけません。
御祈願をされたとき、仏様が導き下さる答えは、『期待外れ』の結果かもしれません。
けれども、それは願った自分には、まだ努力が足らず、望むままに叶えると不幸になるからこそ、与えられた答えなのです。
求道妙香