老いを学ぶ
昔、ある方とお話しをする中で、『老いる』とは『老いを学ぶ』ことであると聞いたことがあります。
若い頃は、体力も気力も充分にあって、いろいろなことにチャレンジもできるし、仕事に遊びに少々の無理はしても体力があるから全然平気。とてもいきいきとして充実し、未来が広がっていくように感じます。
けれど、だんだん歳を重ねていくうちに、自分の意志に身体がついてこない。若い人達と同じ様に動けない。物忘れをするようになったり、視力が衰えたり、そのうち、気力まで続かなくなっていく。身体的な衰えは、誰も避けて通ることができない自然の摂理です。
高齢の父は、ひどい神経痛で腕が持ち上がらず『情けない。情けない。』とこぼします。自らの意志に関わらず、だんだんできなくなることが増えて、残念ながら誰かのお世話にならざるを得ない。この『世話になること』も学ぶことの一つなのだそうです。
十数年前、脳梗塞を患って右手足に麻痺の残った母は、ずっと病院で介助を受けながら生活しています。8年位前、母は病院生活の中で生きる目的・生き甲斐を失い「これから死ぬからね。生きとっても迷惑ばかりかけるけん」と病院から電話をかけてきたことがありました。病院の屋上から飛び降りるつもりだったと言います。几帳面で、周りの人に人一倍気遣いをしていた母の性格でしたから、まだ意識がしっかりしていたぶん、看護師さんの対応が気にかかったり、自ら思うように動けない、思ったようにならない苛立ちがストレスとなっていたのでしょう。また金銭的な家族の負担を考え、迷惑をかけていると思い込み「早く死にたい」が当時の口癖でした。
私『生かされているということは、まだすることが残ってるという事だと思うよ。』
母『そうかねぇ( ;´Д`)』
考えてみれば、私が骨折で松葉杖生活であっても、トイレには自力で行きました。誰かに助けてもらうのは、とても恥ずかしい。
でも、1年前に股関節を骨折をした母は、すでに自力でトイレに行くこともできなくなり、毎日おむつを交換してもらっています。まっすぐに立っていられないため、お風呂もリフトで吊り上げてもらわないと、安心して入浴もできないようです。少しずつ、このお世話になる状況に馴染んできました。自発的に何かができるわけではなく、ラジオやテレビを聞くこともありません。毎日淡々と時間が過ぎるのを待つだけのような生活で痴呆も進み、最近は同じことを何度も繰り返し言いますが、週一度の面会のたび必ず最後に『ありがとう。助かった。良かった』と笑顔で言うのです。母の心の中にどのような変化が生まれたのかわかりませんが、とても穏やかで『可愛らしい』と感じる瞬間があるのです。
私も歳を重ね、老眼から始まり、「身体が(意志に)ついてこない」という年頃になり、少しずつ肌身に感じてくるようになりました。
障がいのある人が、社会的にはハンディがあるかもしれないけれど、人間の尊厳として決して劣っておらず、きれいな魂を持たれているということと同じ様に、私たちの先輩方は、高齢で肉体や脳の衰えはあったとしても、心や魂が劣っているわけではなく、自らが持っていたものを少しずつ手放しながらさらに魂を磨いていく『老いを学んでいる』方々であると思うのです。
数々の功績をお持ちになり受勲を受けながらも、ご自身のご希望でひっそりと密葬で旅立って行かれた方もおられました。とても腰の低い、親切で控えめで、尊敬していた方のおひとりでした。そんな素晴らしい先輩方の歩みを手本にしながら、私もまた一歩学びを進めていけたらと思います。