光と影
冬の寒空の中、暖かい太陽の日差しが差し込む日は、とても気分の良いものですね。ここ数日が悪天候でしたから、今日は木々や鳥たちも喜んでいるようです。
さて、さまざまな書籍やホームページを見ると、パワースポットや神社を参拝すると、とてもきれいな光が見えたとかいう言葉をよく目にします。
『光』って神さまの象徴のような言葉ですね。いつもより大きなご利益を求めて、遠方の神社を参ったりする時、やはり、より大きな『光』を授かれる気がするから、皆さん足を運んでおられるのではないでしょうか?
太陽の光が差しているとき、そこに木があれば木陰ができます。人が立っていれば当然、人の『影』ができます。
真夏の日差しのように、光が明るければ明るいほど、強ければ強いほど濃くてくっきりとした『影』ができます。
神さまに向き合う時、私たちの心は清らかで透明であれば、その光を吸収して大きなご利益やパワーを頂けるのかな・・と思うのですが、もし心に濁りや汚れがあれば、光を通すことができず、黒い『影』が見えてくるのではないかな・・・と思うのです。
光が大きく明るく強ければ、よりくっきりと濃い『影』ができる。
その『影』が現れると、急に悪い出来事が起こってきます。
例えば、会社の不祥事が明るみに出て報道されたり。。。家族の中で、突然トラブルがおこったり、物事が前に進まなくなったりする。
実はそんな状況を、何度何度も眼の前で見せられたことがあるんです。私にメッセージを下さる神様方のお働きなのか、昔からご縁のある地域だったり、職場だったり・・・それはそれは偶然とは思えないくらい、本当にたくさん見せられます。
けれども・・・・・・・・
その悪い出来事が発生したら、
「なぜこうなったんだろう。どうしたら解決できるだろう。」と、その出来事に正面から向き合い、改善をするための対策・努力をします。逃げられない状況の中で、良い方向に変わる努力を強制的にさせられるようになるんです。その真っただ中にいるときは、とても大変で「神なんているもんか」と思いたくもなるでしょうが・・・・
まさに、『好転反応』というヤツだと思うのですが、大きな痛みと労力と時間を伴うようです。
お経の中に、『十善戒』というものがあります。
・不殺生(ふせっしょう) 生きものの生命を奪わない。
・不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていない他人の財物を取らない。
・不邪淫(ふじゃいん) よこしまな男女の交わりをしない。
・不妄語(ふもうご) 嘘をついたり、でたらめを言わない。
・不綺語(ふきご) 無意味、無益なことを言わない。
・不悪口(ふあっく) 他人を傷つけたり、陰口中傷を言わない。
・不両舌(ふりょうぜつ) 他人の仲を裂くことを言わない。
・不慳貪(ふけんどん) 財物などをむさぼり求めない。
・不瞋恚(ふしんい) いかり憎むことをしない。
・不邪見(ふじゃけん) 誤った見解をしない。
の10項目です。これを守りますというお経です。
たった10項目ですが、わかっていても、簡単じゃない。人間だから守れない日もあります。
だから、同じくお経の中にある『懺悔文』
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
※現代訳
(私が昔からなしてきた様々な悪しき行いは、すべて始まりもない太古からの貪りと怒りと愚かさを原因として、身体と言葉と心によってなされたものである。それら全てを私は今みな懺悔する。)
を毎回読みながら、毎回反省し懺悔します。
お経の中の言葉、口にして読んでしまえば、あっという間ですが、この十善戒を守れるように、日々努力することが、神仏と向き合うときの人間の努力目標といいますか、お願いする前に努力しておかなきゃならない宿題のように感じます。これをしないまま、光の前に立ったとき、大きく黒い影が浮かび上がってくるように思います。
反対に、本当に心が清らかで透明であれば、頂いたパワーでいろいろなことが順調にすすみ、願わずとも様々な良縁が広がって恵みをもたらして下さるように思います。
ここ数年、毎年のように起こる自然災害も、地球からみれば『好転反応』なのかもしれません。
大きな黒い影を造らない心になるよう、心磨きに精進しないといけませんね。